その3
身体がどっぷり、生温い水の中に浸されているようような不快感で目が醒めた。はっきりいって気持ちの良いものではない。なるほど、じっとりと皮膚という皮膚、毛穴という毛穴から汗が噴出している。もっとも、生臭いごみの様な汗ではなく、さっぱりとした感はあったが、不快である事には変わりはなかった。
「どっこいしょ、」
すぐ傍から聞こえた間抜けた掛け声に、びくりと身体が過剰反応する。そろり、ゆっくりとそちらを見れば、人が一人、首に手ぬぐいをひっかけ、見るからに暑そうに着物の裾を捲し上げて縁側に寝転んでいた。ちらりと見えた横顔は、分厚い眼鏡をかけている。
「あっついなあ、これ、間違いなく太陽に殺されるな。それなのに朝から頑張った私は偉いよな、」
ああ、どうやら自分はこいつに拾われ、世話を受けたらしい。
気を失う直前の記憶を手繰る。そう、自分はとてつもなく厄介な事を成し遂げて、心身ともにぼろぼろのぐちゃぐちゃのめっためたに疲れ汚れ打ちのめされて、ふらふら意識も半ばに、どことも知れぬ場所を彷徨っていたはずだ。浮浪者を通り越しごみそのもののであったろう自分をこう綺麗にしてくれた理由は不明だが、とりあえずは目前の人物に真っ当な人であるならば礼をつくすべきであろう。
「あの、あー、どこのどなたが存じませんが、世話をおかけ致しました、ありがとうございます。」
「水精の、中原さんちの亘さんだ、」
「はあ、亘さん。自分は、」
「さてと、大分、予定が狂っちまったが決められた事はしねえとな。」
その場で伸び上がり、軽く肩をほぐした亘さんは、こちらの事を一切気にかけず、縁側から庭へ降り、敷石を渡って、ちょうどこことは向かい合わせになっている、離れへと向った。庭を流れる小川にかかる、小さな橋を越え、竹藪に包み込まれるような離れは、玄関などなく、戸板代わりの唐紙が入り口と窓とを兼ねているらしい。あの程度で、雨風はしのげるのかしらとか、魔が差したよそ者の好き放題になるんじゃないかとか、ここへ来てからまだ日も経っていない、ましてや見知らぬ赤の他人の家のことであるのに、やけに心配になってしまう。
「あ、」
「はい?」
濡れ縁に足をかけ、唐紙を開いた亘さんは、そこで偶然思い出したかのように声を上げた。思わず反応して、自分も寝かされていた布団から身を起こし、耳を傾ける。
「その布団、干しとけよ。あと、風呂場、洗っとけよ。あんたのせいで酷い有様だ。それが済んだら廊下も拭いとけ。泥やら何やら、ぬたぬたしてやがる。ああ、玄関先も頼むぜ。ついでに家中、掃除しとけよ、すっきりするぜ。じゃあな。」
かた、ん。
用事を言えるだけ言いつけ、さっさと離れに篭った相手に、もはや何の恩も感じない。
「・・・・、ろくでもねえのに、借りを作ってしまった。」
そのまま疲労に任せ、布団へと逆戻りしたい気分だった。
しかしこれも性分か、気になった事をそのままには放置できない。確かに汚れた自分を、そう、生ごみ。生ごみを洗った風呂場は想像したくないし、そこへ至るまでの経路も酷いものだろう。仮にも世話になった身だ。正真正銘、身から出た汚れは、あとを残さず綺麗さっぱりにして、立つべきであろう。
「自分はこうも真っ当であったのか。」
妙な納得をしたのはなぜだろう。
PR