「遠い日の歌 第一曲~憧憬」
花はもはや、散ってしまったのだ。
貴方は鉄面皮をその顔へ貼り付け、黙って一振りの枝を抱いている。
浅く椅子に腰掛けるのは昔からの貴方の癖で、そしてやや慇懃さをもった様子で足を組むのもまた、貴方の癖だった。そうして貴方はそっと私へ微笑み、お茶をどうぞ、とカップを私の前へと寄せてくれるのだ。
私が少し、慎重さを滲ませた指に華奢なカップをひっかけて、そっと口をつければ、貴方は忙しなく目を泳がせる。こくり、と喉をならし、カップをソーサーに戻して私は貴方を見つめ、ほっこり笑みを浮かべ、一言一言の味を噛み締め、こう言う。
「アーサー、美味しいですよ、とても。」
すると貴方は貴方が愛するバラの花のように、ふわりと笑顔の大輪を咲かせた後、急にまた、ふてぶてしさを持った口ぶりで、俺が入れたんだから当たり前だと言い放つ。
私には、そんな貴方が可愛らしくって、憎らしくって、たまらなかった。
普段から、貴方はとても紳士な振りをしたがるけれど(事実、貴方は紳士的な人だと思うのだけれど)、それは随所にのぞく、荒っぽい所作と言葉遣いのせいで、洗練さに欠ける繊細さをかもし出す。フランシスはそれを見て元ヤンだ、などとからかうけれど、私から見れば小さな子供が粋がっているだけにしか思えなかった。しかしそれがまた、私が貴方を意地らしく思う一つでもあるのだ、とは流石の私もいえやしない。
慎む事を美徳とする私の信念の中、貴方に対する思いだけはその一線から外れた軌道を歩んでいたというのに、私はそれを真正面から見る事すら出来ない臆病者なのだ。いいや、それでは言葉が良すぎる。
「つまり、面倒なのですよ。」
認めてしまえば、私はそれに対して全力で向かわねば己を許せない。突然、激情家となるのは、私の悪い癖。花火がぱっと夜空に散るかの如く、それは突発的。輝き、そして次の瞬間には飽きる。しかし、夜空に散った火薬の残した白煙を、どこまでを眺めその余韻を慈しむのもまた、私にとっては欠かせない楽しみ方の一つ。貴方に対する気持ちはまさにそれである、と言い切るつもりはないけれど、私は途方もなく貴方に惚れている、という事は限りなく真実、私の心の声なのだ。
それなのに。
何事も無かったかのように、全てをご破算(ごあさん)にしてしまえるのも、私の悪い癖。
私は私を恨むことはない。しかし、生涯、悔いるだろう。
なぜ、あの花を手放してしまったのかと。
貴方は私をその美しい翡翠の瞳で見つめている。いいや、貴方の瞳は私を見つめてなどいない。貴方はいつだって、美しいものを愛する。美しい光景だけを、見ている。それで良い。貴方にはどこまでも、心優しき過去の情景に目を向けていて欲しい(かつての貴方が手放した貴方の愛する弟との柔らかく暖かい月日のように)。
私は私の愛する物全てが、どこまでも清廉で美しいものである事を好み、望むのだ。それが、何を隠そう私の一番悪い癖。
貴方の手を重くする桜の枝は、直に枯れて花は落ちるだろう。
その足元に、薄桃の身を散らす花は、冷たい床をどう思うだろうか。
私はそんな絵姿を胸に秘め、微笑もう。ああ、散ってしまった花の、(そんな花を足元に凍りついた表情を向ける貴方の)なんと、美しいことか。
散った花が汚らしく腐ってしまう前に、全てを片付けよう。
まるで始めから、何もなかったかのように。
完璧な世界を、貴方へ捧げる。
それが私の、愛の形。
もはや全てが、遠い昔の話であるけれど。
貴方がいつまでも、そうして穢れる事の無い翡翠の瞳を持つ限り。
素晴らしい夢の日々を、貴方に。
20080612
日英ネタ
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