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カキチラシ

「サカサマ」ブログサイト内、書き散らしたもの置き場。

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07/12

Sat

2008

宝石箱

第一話「水の音」







 
 鈴虫の音に誘われ、初秋の夜半に目が覚めた。なんとも幻想的かつロマンチックである覚醒は、ごろりと鳴り響いた腹の音で、一気にその神秘性を失った。
 電灯をつければ、買い換えたばかりと言うのに、もう黒ずんでしまった蛍光灯の輪が、こっぽりと闇夜に浮かび上がり、私を見下ろしてくる。
目が痛いと一人ぼやいて、する事も無いので仕方なく、空になった腹を抱えてごろり、畳の上へと横になる。すぐ背後に敷いてある、万年床へと帰ればいいものを、わざわざ電灯の真下で肘をつき、秋の虫の啼き始め、暫くじっと耳を傾けた。
 やがて何処(いずこ)からの水音に、はたりといつのまにか閉じてしまっていた瞼を押し開き、無粋なその音に眉根をむう。大仰に寄せて、どこのどいつだと空の腹を立ててみる。
 尤も、真夜中、誰の目をはばかる事無く煌々と灯りをつけ、物思いにふける暇人が、自分であると言う事はさっさと棚上げし、尚も聞える水音を、その水源はどこだと耳を澄ませた。
「ああ、腹が減った」
 言葉はまったく無関係に紡ぎ出され、いささか間の悪い感がするけれど、誰に遠慮をする事も無い私室である。さて、と己の中では続行されていた水源の発見に、更に意識を向けていく。どこだどこだ、どこだと問う。耳障りな水の流れる音は、さて何処。
何も川のせせらぎならば、自分はきっと喜んで耳を傾けたろう。清い流水は耳にわざわざ収めなくても昨今、消えてなくなる一方だ。荒れ放題の庭のお蔭で、ひやりと身に染みる夜風にのって、虫の音は聞える。けれど生憎、近くに手頃な川はなく、いっそ池でも作ろうかと、広さは十分にある湿気の多い雑草ばかりの庭を縁側から眺めている毎日だ。それとも井戸でも掘ろうか。妄想は気持ちを愉快にさせてくれる一番、簡単な方法だ。しかし、どうにも今宵の水音は気に入らない。
「こんな夜中に風呂か。」
 そうだとしたならば、余程の美人でないと気がすまない。美人ならば男でも女でも、もしくはそれ以外でもかまわない。
「・・・・、」
「お前は美人ではないなあ。」
 泣き声もなく現れた、鼻の潰れた真白い猫が、開け放した障子の側で、縁側に四肢をつけこちらを見ている。神出鬼没な愛猫は、生後間もなくうっかり腕の中から縁側に落したせいで、せっかくの美人が台無しとなる面構えとなってしまった。可哀想な事をしてしまった分、私は彼に尽くさねばならない。ちょうど、彼の足から影が伸びている、あの辺りで私は彼を落した。ひぎゃん、と大きく鳴きもせず、彼の鼻は潰れてしまった。ショックからか、彼の髭は右に一本残しただけで、後は生えもしない。しかし残されたその一本は実に見事な髭で、す、と横一文字、潔く伸びる髭は、彼にとっても私にとっても一番の自慢だ。
 また、白は両足が奇形だ。勿論、私のせいである。彼がまだ仔猫の頃、誤って前足を踏んづけてしまった。右足を踏んづけ、それから一時間後、定年退職した家長と更年期障害の奥方が住む、道向こうの家が喧しいと苛立ち半分に思いきり閉めた障子で、彼の左足を轢いてしまった。以来、彼は右も左も、前足がおかしな方向へ伸びている。
彼はひょっこり、ひょっこり、のたのた歩くのは私のせいだ。それ故か、彼はほとんど外出しない。広い庭に、決まりきった長方形の空が、彼にとっての外である。
 白の毛並みは真っ白だ。ぶちの一つでもありそうなものだが、見事に全身、白い毛で覆われている。この間など、風呂に入れた彼をドライヤーで乾かしている時、ちょっと目を放した隙に彼の尻の毛を直径一センチほど、焼いてしまった。幸いにも傷跡はなく、彼の体は今日も大変、美しい。
「白、お前もうざったいのか。」
 白の登場ですっかり興が削がれてしまったが、私の耳は未だに癇に障る水音を追っている。
「・・・・。」
 白は無口だ。
 思えば彼の鳴き声を、私は聞いた事がない。お蔭で私は猫を飼っているにもかかわらず、猫という生き物の声を良く知らない。だが猫という生き物はそう、にゃあにゃあ鳴いてはいない。
私がこの家で落ち着き始めた頃、迷い込んできたのか。黒い野良猫が、偉そうに広縁まで上がり込んできた時、猫だけに猫撫で声というものを出すかと思っていたのに、一瞥すら寄越さない。どうせ暇なので、いつ鳴くかと側で本を広げ待っていたのにちっとも動かない。木彫り細工のように縮まって、ひたすら春の陽光を浴び、半眼で庭を眺めているだけだ。薄い本を読み終わった私は寝転んだり胡座をかいたり、それなりに麗らかな春の面差しを黒猫同様、楽しんでいたのだが、そうして待つ事も休息する事にも飽きたので、本を片手に私室へと引っ込んだ。それから、いそいそと適当な風呂敷を持って広縁へ戻れば、何かを察知したのか、そそくさと黒猫は庭を突っ切り逃げてしまった。黒猫は終始、無言であった。同じく私も無言だ。
肌色の肉球で踏みつけられたハハコグサは、辺垂れた黄色い花を、のぽ、と地面へ押し広げている。野山に生えているものより伸びなかった茎は、今や庭中を埋め尽くさんばかりの勢いだ。静観な庭は、心地良い。緑と黄色のコントラストの真ん中、にゅ、と真白い尻尾が揺れ動く。そよ風の音が、春の音がする。なぜ白も黒猫も、鳴かないのだろう。
自由奔放な彼を、彼女だろうか、どちらでも良い。黒猫の凛々しい引き締まった足が、走り去る華麗な幻像がまだ瞼をにぎわす。猫とはああも軽やかに駆ける事の出来る獣であったのかと、感嘆の息をついてしまった。心なしか、吐息が甘い。ゆらゆら、そよ風が頬をなぶる。白い尻尾はいまだ、揺れ動いた。
とても美しい黒猫だと思ったので、手に持った風呂敷はまた、私室の箪笥の中へ閉まっておいた。
白同様、私もあまり外出を好まない。夕刻ともなれば、ちょっと散歩にでも出てみるかという気にはなっても、結局、出ずに終わる事が多い。何より、私は家が好きなのだ。のったり、夕方の空気を楽しみ、夜へ向けて更けていく世界は堪らない。家の中から、犬の散歩、買い物へ行く母親、家路を歩む学生や男達の様子を伺うのも、すべてそれらは夕方の風景だ。美しい。この時ばかりは多少の騒音も騒音とは感じ取らないのだから不思議だ。
私は学習した事がある。猫はあまり鳴かないが、犬はよく吠えるという事だ。そこで件の老後を生きる道向かいの夫婦であるが、あの家が飼っているのは猫ではなく、犬だ。確か小型犬だ。頭の悪そうな顔で外を歩かせられている姿を見た事がある。あの手の犬に、散歩が必要なのかは知らないが、おそらく不要だろう。世の中を歩くのに、あの短い足は不釣合いだ。あんな生き物、傍らを歩かれたら私のことだ、踏みつけてしまうのがオチだ。
その犬であるが、名前は忘れた。いつもいつも、きゃんきゃんとあんまりにも五月蝿いので、とうとうつい二日前に、庭の手入れも兼ねた散歩中、見つけた手頃な石を放り投げてやった。そうしたら、びゃん、と後味の悪い音と「インディ!!」と金切り声を上げる濁声が聞えた。犬の名前を思い出した。インディだ。どっかの映画の主人公と似たような名前だ、あの映画は娯楽的要素は強いが蛇が出てくるから嫌いだ。面白いけれど。一人では見たくない。
今この時まで、犬の鳴き声は聞かれない。したがって、私はやっとこさ安眠を手に入れる事が出来た。快適な夜はいく久しい。大切にしたいと思った。
「白、お前は耳は良いだろう。どこから聞えるか分かるか。」
 それなのに、今夜は耳にさわりの悪い水の音。私も大概、運が悪い。天敵を退治たと思ったらこの仕打ちだ。温厚な私でも、さすがに腹に据えかねる。私は並より少し、感受性が高いのだ。
 問いかけに、彼はまんじりもせず、ただ広縁の庭側にへた、と立ち座り、私を見ている。
「お前は相変わらず、愛想がないなあ。」
 大きく欠伸をして、しびれた腕を伸ばす為、私は大の字となった。
「そして、意地が悪い。私が嫌いなのか。」
 白はひょっこりひょっこり、歩いて私の腹の上へどでんとのっかり、私を見下ろしている。途中、彼の道程に私のしびれた腕があった事は偶然ではないだろう。白は賢い。的確に私のしびれた足やら腕やらを、しょっちゅう、踏んでくる。愛い奴め。
 人間であろうが猫であろうが、賢い生き物は好きだ。美人も然り。
「お前の空耳だ。」
「ああ、そうか。」
 私は白の鳴き声にはとんと縁がないけれど、白の涼やかな凛とした喋り声には彼と出会った時から縁深かった。耳に心地良い音は好きだ。
 白は金と銀の目で思い切り私を睨みつけ、潰れた鼻で無理して笑う。その度に引きつれる彼の頬の皮は、どうにも醜い。ああ、なんて不細工な顔だ。
「可愛くないなあ、お前は。」
「馬鹿な主殿。」
「声は良いのに。勿体無い。」
 オッドアイというのだと、数少ない友人の一人が、三日前に我が家へ来た時に、白を撫でながら教えてくれた。その時の白は大層、穏やかな顔をしていた。
「お前の空耳だ。」
 あれ程、耳に障る音は、幻聴なのだと白が言った。
 私は睡魔にも襲われぬ己の頑強さと、白の告げた事実に、へえ、とだけ言って、彼を腹に乗せたまま、目を瞑った。
 腹が重いので、朝餉は軽めにしようと白に言った。
 翌朝、目が覚めたら電気は消えていた。いつ消したのか覚えがない。白は腹の上から脇の下に移動している。どうやら、私の平らな腹は寝心地が良くなかったらしい。今度から夕餉はお汁をたくさん飲む献立にしよう。そうすれば、流行のウォーターベッドのようになるのではなかろうか。白もきっと、居心地良く眠れるはずだ。
 自分の体を横にする事で、脇腹近くに丸まる白の体が良く見えるようにする。猫の癖に眉間に皺を寄せて眠る彼のそこを、そっと撫ぜた。顰め面が直るかと思えばますます深くなった溝に、可愛い奴だと不細工な鼻を突付く。
「ろくでもない主だな。」
 人の安眠、邪魔する奴は地獄に落ちろ。
「口が悪いなあ。」
 ぎろりと銀の目が、私を睨み付けた。寝起きの良い白は、ひょっこり、よたよたと立ち上がり、私の顔を踏みつけ後頭部に背を向け、また丸くなったらしい。
「頭が熱い。」
「水音は、」
「まだ聞える。耳障りだ。」
「空耳さ」
「空耳か。」
 昨晩、風呂に入った時に、うっかり両耳ともに、水を詰まらせてしまった。片足飛びで耳を下にして何度飛び跳ねても頭を振ってもどうにも抜けず、私の耳はそれからずっと、水の詮をつけたまま。これではまるで、湖の中にいるようだ。せっかくの白の声も、水の膜を通して聞える物だから、聞えにくい。良く私はこの耳で、昨晩、虫の音だと目が覚めたものだ。ひょっとしてあれは、夢だったのか。
 いや、違う。今でもわずらわしいかな。耳の中の水とは別方向から、確実に水の音がする。流れる水は、一晩たっても癇に障る。
「とうとう、頭がおかしくなってしまったのだろうか。」
「心配するな、おかしくなる頭すらお前の頭蓋の中には入っとらん。」
「白のいけず。」
「いけず、何て粋な言葉を主殿が使っている。どうしよう。夏目。夏目はどこだ。」
「夏目なら留守だぞ、実家にやってる。」
「予定を覚える頭はあったか。」
「あいつは面白がってお前の髭を引っ張るんだ。けしからん餓鬼だ。しばらく帰って来なくて良い。たっぷり婆さまに仕置きをされたら良いんだ。」
「寂しい。」
「馬鹿を言うな。」
「向こうが寄越せと、」
「そうは言ってない。土産を持たせた。」
「蜆か、」
「違うよ、鮒寿司をタッパに。」
「ついに道中の嫌がらせまで、」
「夏目はそんな事ではへこたれない強い子だ。」
「酒を覚えるぞ。」
「良い傾向だ。土産に酒を買ってこさせよう。ただし酔っ払いは嫌いだから、一緒には飲まない。」
「よく言う。」
「手酌は良いぞ。」
 酒は嗜む程度が一番だ。久しぶりに、今夜は気に入りの猪口を出してしっぽりゆくか。
 朝っぱらから晩酌の事を心配出来る程度には、季節が過ごしやすくなった。
 冷にしようか。それとももう、燗だろうか。つまみは何にしよう。天気予報を見なければならない。
 腹に力を入れて、勢い付け畳から上体を起こした。
 瞬間、ぐう、と鳴る腹に、瞬きをこぼし、白、腹が鳴ったよと言った。
「・・・、」
 起き抜けにたくさん喋った白は、ひょい、と仕方なし、一瞥を寄越してそのまま黙り込む。腹が鳴った腹が鳴った。何度も呟いて、まごつく耳の中は相変わらずごわごわと水の音がする。
「たまらん。」
 言い捨て、寝巻きも脱ぎ捨てた。飯にしよう。箪笥の中から黒のタイパンツと、白い長袖シャツを引っこ抜く。隣町の町内長から薦められ、通信販売で購入したタイパンツは、思いの外、快適で気に入っている。聞くところによると秋冬用の生地のものも売り出しているらしい。ちょっと買ってみようかと思っているが、次は何色にしよう。黒と紺は買ったから、思い切って渋い色味が味のあった、赤だろうか。あれは赤というよりは朱色、紅葉色に近い。それとも、カーキ色か。秋冬用の黒もほしい。ああ、夏目は若いから赤が似合いそうだ。そろいで買ったら、嫌がるだろうか。
 すっかり穿くのにも慣れたタイパンツの紐をぎゅ、と腰元で結び、折り返した布の部分を整える。着物の着付け同様、これを穿くと何だかしゃん、とした気持ちなるのはおかしなものだ。先週までは袖なしのものを上に合わせていたが、いつのまにやら、袖がないと心許無い日和となった。
 真白いシャツは、日に透けて薄い金色に染まる。夕方の太陽ならば、もっと濃い黄金色となっただろう。朝と夕の違いは、こんな所にも存在する。自然の神秘は真に素晴らしい。
 今日はどうも、テンションが高い。水は耳に詰まったままだし、どこからか耳障りな水音は聞えるし、白は無愛想だし。コンディションは決して良くはないのだが。
 掃除でもしようか。
 そうだ、それが良い。掃除をしよう。
「白、掃除をするぞ」
 ぱら、ん。尻尾を振るだけで、眼は瞑ったままの白い猫を、私は思い切り蹴飛ばした。
「ちょっとは啼いてみろ。」
 猫のアイデンティティーをどこへやってしまった。
 威嚇すらしないで、白は一度、大きく欠伸をしてまた眠ってしまう。図太い奴だ。シャツのボタンは上から二番目までかける。
「おはよう、白。」
 
 
 
 
 



 
 20070912
 20080712補足
 

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