「妖精はもうそこにいはしない」
彼が庭の手入れをしなくなって今日で三日となる。彼の庭は相変わらず見事ではあるが、心なしか、植物達にはいつもより元気が無い。おそらく彼らが尤も敬愛し慕う彼が慈愛あふるる笑みで持って彼らを世話し、語りかけぬせいであろう。どこか重苦しそうに、たくさんの花を開かせたバラは今にも地面へとその頭を垂れそうだ。そっと突付いてみれば、いつもならばすぐにその鋭利なる微笑で持って、私の指先を傷つけるというのに、今日はただ、触れたかと思えば気の無い様子で、しらんぷりを決め込むだけである。いやはや、主に似るのは何も生き物だけではないらしい。ついに植物にまで彼の性質と同じ物が宿ってしまったか。気付いた事実に、私は新たな心のときめく世界を見出したような気がした。が、私に植物と睦み合う趣味は無い。いくら想像の世界に愛を傾けようとも、それは現実世界との格差があってこそ成り立つ情感であって、現実世界の感情こそが空想の世界を更に素晴らしい物へと色付けしてくれるエッセンスとなりうるのだ。区別をなくせばそれはつまらないものと成り果てる。その温度差を楽しむ自分を楽しんでいるのだから。故に空想の世界へ向ける愛は、夢のような愛でなければならぬ。生々しいものでは、汚れぬ想像世界には似合わない。
倒錯的な愛情は、実に魅惑的だ。至上の芸術作品を鑑賞するのと同じ事である。故に、私は彼と彼の大事な宝との間に培われている関係とそれに付随している感情を眺め、楽しむ事を尤も重要な趣味としている。彼と彼の間にあるそれは、まさしく理想的な愛情だ。めくるめく愛憎模様、などとメロドラマの宣伝文句のような言葉に置き換えるにはあまりに惜しい感情だ。実に素晴らしい、私にある種の絶頂感すら与えてくれる彼らの情愛は、今となってはなくてはならないものとなってしまった。性質の悪い麻薬のような物だろうか。中毒と言っても過言ではない。ああ、何と素敵な事だろう。私は誰よりも彼らを間近で鑑賞し、時に干渉する事すら可能な立場にある。彼らの間に起こった事を観照する役目は、甘い囁きで私を虜とし、何とも離し難い。
さて、しかるに私はそんな夢の薬物からの脱却を得るチャンスを今、手にしているのだがそれは同時に夢の続きを見続けるタイミングをも、手にしている事となる。勿論、私が選ぶのは夢の先だ。私はいつまでも夢を見続けておらねばならぬ。でなければ、私が深く深く封じる事を選んだ黒い影(大日本帝国)が、足元から忍び寄り、いつのまにか頭の先まで飲み込んでしまいかねないのだから。それだけは、避けねばならない。
「恒久なる私(平和)の為に」
老兵は、黙って去るのみ。
おっと、話題がずれた。なんだったか、つまりは、米英っていいよね、って言う話です。
冬コミ新刊は勿論、米英本でいきますよ!
本田菊神サイトブログより引用
20081114
なんて、ね
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